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『街』取材記 ~守る人と創る人~

前回も取り上げた、再開発で急激な変貌を見せる街「武蔵小杉」
今回は、武蔵小杉で400年以上の歴史をもつ名家を取材した。

昨今の再開発、次々と建つタワーマンション、人口の爆発的増加、大型ショッピング施設、この変化に江戸時代からこの地に暮らす名家は、どう感じ、反応しているのだろうか?

この地は、江戸時代に遡れば、武蔵国の小杉村。
中原街道を中心に村が形成され、周囲はほぼ田畑の農地であった。
普段は農業を営み、戦争になると武器を持つ土豪の村であったとも言える。
徳川幕府は、多摩川が傍にあり、神社仏閣に囲まれるこの地の利を活かした万全の防御で、
1万3千坪にわたる『小杉御殿』を建設した。

そんな歴史的背景から、当時も江戸からの交通の利便性や、地理上の点でも、拠点を置くのに適した場所だったと考えられる。
昭和30年頃までは、中原街道沿いに片町という繁華街が栄えていた。
所謂、なんでもあるフルセットの商店街が存在していたのだ。
その頃、現武蔵小杉駅がやっと開業し、その後、中心地は駅前に移る事になる。

今回取材した名家は、「原」家。
鎌倉時代では北条家の流れをくむ武将だったとの事で、今でも当時のよろいなどが
本家に保存されている。ご自宅も代々受け継ぐ日本家屋そのもので、小杉御殿跡の側に位置し縁側を臨めば絵に描いたような日本庭園が目の前に佇む。

本家16代当主にあたる原豊孝さんはこう語る。
「再開発で、急激に雰囲気が変わったね、ビックリしているよ
 人も多いし、高層マンションがどんどん建つでしょ
ここ小杉という村は、川崎の中でも田舎で平和な街だったんだ。
 おいしいお米も豊富に採れ、のんびりと暮らせる場所。」
「街の景観は大事だね、今やあらゆる時代の建築物が混合し、美しさにかける。
もちろん発展し、利便性がよくなるのはいい事だけど、日本の古き良き物は守っていきたいね」と。

伝統や文化を引き継いでいきたいと、
年に1度、地元の小中学生を対象に社会科見学としてご自宅を開放し、
受け継がれた刀や鎧、道具、指定保存樹の在る庭園など大切に保管された建築、貴重な物品を披露している。

確かにこのご自宅に居ると、駅前の現代から当時の小杉村へタイムスリップしたような
感覚に陥り、従来の小杉村の様相を窺えるほどだ。
多摩川から降りてくる風が、庭園の草木を鳴らす。

続いては、同家の一族
「原 正人」さん。12代目の当主だ。
こちらの原家は20石以上をもつ豪農で、明治以降は、広大な土地を経営しつつ、
地域のリーダーとしても政界に進出するなど、先進的に活動をしている。
原正人さんは、現在「株式会社原マネジメント」社を経営、不動産管理は元より街の再開発にも
積極的に関わっている。

とにかく広大な土地を所有していた事から苦労も尽きないという。
代々の当主は土地を譲り受けてよかったという感覚よりは、どう土地を守り、
有効利用していくかの重圧の方が強かったとか。

原さんはこう語る
「この小杉という街の最大のメリットは、お金じゃ買えないポテンシャルにある。
 豊かな自然、平坦な土地、中原街道の由緒ある歴史、それらが残されたまま発展し続けている。」
「建物、施設などのハード面はある意味お金さえあれば誰でもできる所業だが、最も重要なことは、ハード面ではなくソフト面、
住む人達や訪れる人が、本当の意味で楽しめる場所であるかは、長期的な積み重ねで創られるサービスだったり、コミュニティだったりする。
 ここでは、官が企てた事を民が仕事するだけではなく、民からアイデアを発信し、
 街をクリエイティブしていく事が実現可能な環境だ」と。

また、再開発によりたくさんの子育て世代がこの街に住み始め、
学校が足りない状態にある。
少子化と言われているこのご時世でも、新たに学校を建てているというから、
今後もあらゆる面で、発展の可能性を控えた街である事を物語っている。

そして、まだまだ足りないものもある。
シニア世代が安心して過ごせる施設や、高齢者をケアするサービス面が今後の課題とも原さんは言う。

現在、原正人さんは、新たに住宅を建設している。
その住宅のコンセプトは、『精神の継承』
江戸時代から脈々と続く時の流れを止めないように、、、
歴史が語る今は見えない世界観を建築デザインに組み込んだという。

GATESQUARE 小杉陣屋町 http://jinyacho.jp/

一見、普通のデザインマンションかと思いきや、とんでもない!
当時の原家の家屋をモチーフにデザインされ、中原街道沿いの
エントランスが陣屋門で囲まれている。

また、意図的に賃貸と分譲の両方を構え、現代らしい人それぞれのライフスタイルに
適した住まいを提案しているという。

更にこう語る
「発展するという事は開発も進む、
 そんな中、ただ土地を切り売りするだけでなく、
  街のポテンシャルを継承し後に残る物を創っていきたい。」

「再開発前の小杉は、ただ住であったが、
これからは、居食住の充実したハイセンスな街になると思う。
また、様々な企業が新しいプロジェクトを試みる事ができる街でもある。
 この街のポテンシャルを活かし良いモノを取り入れる事ができる柔軟な街作りに貢献していきたい」

原正人さんは、昔ながらの地権者とは思えない新鮮な発想をもち、
とてもクリエイティブに街の再構築に取り組んでいる。
今後の活動も楽しみだ!

FD

最近、とあるテレビ局のスタジオ収録で制作スタッフとして参加したのだが、
その際に改めて感じた事。
今回はその番組の内容というより、普段日の当たらない職種、フロアディレクターについて、その職種の紹介と、活躍ぶりを述べたい。

フロアディレクターとは、
主に、テレビ番組の収録や生放送中にスタジオ内の進行を仕切る役で、
番組内容を演出するディレクターとはまた違う。

まず背景として、今回収録した番組は、出演者は7名で、カメラ5台(クレーン含む)
大掛かりな美術セットもあり、
物の出し入れも多く、さらに3DCGを絡めた内容であったため、
何か一つでもトラブルがあれば、とうてい予定どおりには終わらないギリギリいっぱいの収録体制であったと思われる。

リハーサルの時間も十分ではなかったため、物出しの段取りもチグハグなまま、
本番の時間を迎える。
タレントさんのスタジオ入りも、本番ギリギリの方が多かったため、
ほとんど打合せもせず(台本なども全て目を通せるはずもなく)、一発勝負状態。

そんな慌ただしい中で、
リハーサルと本番の合間に御昼ご飯もとらず、入念に進行をチェック、シュミレーションする人物がいる。
それが、フロアディレクター=FD
今回のFDさんは、とても小柄で、一見物静かな感じの若手の女性。

そして、本番時刻になると、威勢よくタレントさんを迎え入れ、
立ち位置に案内し、いよいよ本番スタート。

さすが百戦錬磨のタレントさん。ろくに打合せもしていないのに、
本番になるとそれぞれが自らの役割をすぐさま把握し、
MCは軽快に番組を盛り立て、クロストークは徐々に盛り上がりをみせる。
そして、一つのテーマが終わり、次のテーマへ話題が変わる際に、
スタジオのセットや小道具、立ち位置などが変更(展開する)。

この展開時こそが、FDさんの重要なお仕事だ。
この展開が遅れたり、大道具を動かしている最中にカメラに激突したりすると、
再開までに大幅に時間がかかり、演出もタレントも内容に集中する事が困難になってくる。
例えば、時間がなくなると、「妥協」という解決策が優先されてしまうのだ。

どんな仕事でもそうだろうが、
時間とお金に縛られている中で、永遠にクリエイティブに拘ってはいられないわけで、
その環境の中で、ベストパフォーマンスをするのが、プロの仕事だ。
だからこそ、最初に描いた予定通りの段取りで進めたい。

カメラがどう展開し、セットがどこからどこへ動くか、どのタイミングで、フリップを入れるか、フロアディレクターだけが、明確に全てを把握しているのだ。

そして、細かな点も見逃さない。フロアに張られたバミリ(出演者や物の位置を示すテープ)が、1センチでもずれようもんなら、5秒で貼り治す。

またスタジオ内の人の使い方も凄い。
スタジオのカメラの後ろ側には、マネージャーさんやらプロデューサーやらADやらたくさんいるのだが、その人達をも上手く使いこなすのだ。

スタジオに3つのイスがあるとする。
その3つのイスを次のシーンで外にださなければならない。
一人で3つのイスを一気に持ち運ぶのは無理だから、他の2人、イスの近くに突っ立っている暇そうな人に事前に声をかける。
「次の展開でこのイスを上手(かみて)にわらってください」 
※わらう=移動する、どけるの業界用語

その時の言い方もきわめて重要で、物腰柔らかくわかりやすい。
失礼の無いようにかつ端的に説明するのだが、
言われた方も何の違和感もなく、その作業に協力する、いやむしろ手伝いたくなるほどだ。

そして次の瞬間 小柄な身体を活かし、
クレーンの下をさっとくぐり、次の段取りを演出ディレクターに打ち合わせる。
物を出す大道具さんにもどのタイミングで、どうするか、を的確に指示。
次の展開を10秒足らずで伝達するのだ。

本番が始まってしまえば、そこで考え込んでいる時間はないわけで、
ちょっとしたトラブルを含め、全て想定内といったところか、
冷や汗一つかかずに?約3時間の収録を無事遂行した。
番組の内容も、プロデューサー、ディレクター共に納得のご様子で。

このFDという仕事、
まるで、サッカーの司令塔のような動き、観察力、
周囲のスタッフをうまく使い、時間内でゴール(収録成功)にもっていくその様。
そう、スタジオは、彼女のフィールドであり、
実は、出演者よりもディレクターよりもカメラマンよりもこのスタジオワークに
命をかけている職人なのだ。

演出はもちろん大事だが、作業を進行させるプロフェッショナルは欠かせない。
というわけで、収録中、
個人的には番組の内容よりも、そのFDさんの動きに魅了されてしまうのである(笑)

このFDのお仕事、確かに、
ADが兼務するより、専門的な職種として成立し、認知されたほうがよいと思うし、
スタジオ収録モノの番組作りが盛んな現代では、活躍の場も多いだろう。

『街』取材記 武蔵小杉編①

住みたい街ランキング3位にもなった神奈川県川崎市に位置する『武蔵小杉』。

5年前から再開発が急速に進み、地価がバブル状態になっている街。
その主たる要素となっているのが今も尚建設が続けられているタワーマンションだ。
現在、8棟が建ち、今後の予定された建設を合わせると、11棟にも及び、
入居者も順調に伸び続けているという。
人口は、再開発前よりおよそ1万人も多く増える事になる。

そして、再開発の目玉である商業施設。
中でもセブン&アイグループにより2014年にオープンした『グランツリー』は、ハイセンスで斬新なショッピング施設として多大なる集客力を発揮し、今や街のランドマークとなっている。

以前の武蔵小杉の中心地は、東横線の西側にあった。
住宅地、企業の社員寮、商店街、病院や区役所なども西側にあり、比較的庶民的な街並みであった。
その頃、東側には企業のグラウンドや、工場跡地となっていて、
暮らしに纏わる施設などは何もなく閑散としていたようだ。
この東側の敷地を利用し、マンションや商業施設が建てられる事になったのである。

巨大な商業施設『グランツリー』ができてからは、その東エリアがショッピングなど暮らしのメインエリアとして位置づけられ、新築のタワーマンションに住む人が増え、人の流れも東側が中心になったと言える。

話は冒頭に戻るが、武蔵小杉が住みたい街にランクインした理由を最近この街に住み始めた人達に聞くと、ほとんどの人が、『交通の便』と口をそろえる。
5年前横須賀線の武蔵小杉駅が開業し、都心へのアクセスも向上。
元々、東横線、南武線と東西南北に足を延ばせるターミナル駅であったが、この横須賀線の開業で更に利便性が充実したのだ。

住み始めた人達にとっては、従来の武蔵小杉の街の特徴や暮らしやすさなどは
知る由もなく、何よりも交通の便を優先して新天地を求めてきたようだ。
また、高級感あるタワーマンションに住み、オシャレでキレイなショッピングモールで
買い物や飲食をする事がステータスとしているようにも見受けられる。

一方、元々武蔵小杉に在住の住民達は、再開発で街の価値が上がると共に、
より住みやすくなる事を当然期待していたわけだが、
再開発が一段落した現在、大手を振って喜んでいるというよりは、
「武蔵小杉は変わったなあ」とあまりの急激な変化に戸惑いを見せる人も少なくない。
新たに発生した急流に追いつく間もなく、ただ傍観しているという感すらある。
とかく、グランツリーなどの大型ショッピングモールには、あまり関心を寄せておらず、
むしろ、あれだけ、広大な敷地をとって商業施設が入ったわりに、家電製品やホームセンターが無いと不便な点を指摘する声も多いようだ。

そして、明らかに懸念している事といえば、タワーマンションの今後の増設による
日当たりの問題だ。
従来の武蔵小杉には高層マンションはなく、要らぬ心配だったのだが、
いざマンションが建ち並ぶと、ビル風が吹くようになったという事と、更に街を囲うようにマンションが立ち並ぶようになれば、今までのような1日を通しての良好な日当たりは期待できなくなる。

更に後ろ向きな発言も見受けられる。
マンションラッシュと人口の急激な増加で、地価もあがり、高級志向のイメージが
街に馴染み、物価も高くなるのではと。

前述したが、再開発前の武蔵小杉は、ごくごく庶民的で良い意味で地味な街であった。
商店街や町内会の中心を担っていた人は高齢化し、後継者も不足しているのは全国的によくある話だが、高級志向の再開発も相まって、駅前の商業施設で客を奪われる。
街に人通りは多いものの、商店街の売り上げ自体は減少しているという事実もあるようだ。
更には、高齢化した地主から土地を高価で買い取る企業系の店舗が増え、
地に根差していた個人店などのお店が増々減っていくのではとの声も聞こえるほど。

そんな現状が垣間見える「武蔵小杉」だが、様々な弊害を払拭するかのように
エネルギッシュに活動している組織があった。

NPO法人 『小杉駅周辺エリアマネジメント』、略して『エリマネ』。
所謂「街作り」に貢献する活動を主として、街のイベント、事業を運営する組織だ。
タワーマンションが建ち始めた時期から、そこに住み始めた住人を中心に結成されたようだ。
商店街、町内会、商業施設(企業)、役所をも巻き込んで、自らが住む街を
活性化しようと目論んでいるらしい。

筆者としては、彼らの活動に接触して間もないので、その中身はまだここでは明らかにできないが、何か、街作りへの愛やハッピーなエネルギーを感じたため、密に取材をさせていただこうと考えている。

急速に変化を見せ、新たに生まれ変わろうとしている武蔵小杉、
その立役者は?誰のために? 今後、どんな街作りが行われていくのか楽しみだ。
(次回に続く)

エディターズハイ

昨今のノンリニア編集システムにより、個人レベルで映像編集をする事が容易な環境となったため、各制作ディレクターが自らの感覚で画をつなぎ、仕上げ作業をメインとした目的で編集スタジオに入るというワークフローがテレビ番組の制作現場では主流となっている。

一方、ノンリニアシステムが台頭する以前は、どうしていたかと言うと、機材環境の物理的な面で、個人で容易に編集なんてできなかったから、制作ディレクターは撮影した素材テープをそのままをスタジオに持参し、編集マンと一から作業を共にしていたのだ。その頃の編集システムを「リニア編集」というが、要は、テープからテープへのダビングで、テープの頭から順番に画をつないでいって作品を作り上げていく(リニア=直線的)というシステム。

 リニア編集環境では、編集マンと制作ディレクターが相互に意見を交わしながら一つ一つ画をつないでいたが、今や意見を交わすどころか、スタジオに入った時点で、テロップも入れなきゃならないし、仕上げの加工もしなきゃならないしでスケジューリングされ、スタジオ編集マンが画つなぎから何から全て見直して、じっくりつなぎ直したりする時間はないのが実情だ。(番組ジャンルや作品による)

そんなスタジオ編集マンは、仕事に物足りなささえ感じているという。

ところで最近、映像業界の大先輩にお会いし、従来の編集作業に関して興味深い話をきいた。その先輩は、リニア時代の所謂オフライン編集マンで、主に長尺のドキュメント番組などを制作編集してきた大ベテランだ。

特に、ドキュメンタリーは長期間の取材に準じ、膨大な素材量があり、まずはその素材を全てプレビューし、どの画が活きるかをじっくり精査し、取捨選択の繰り返しとなる。

その際に、視聴者にいかに解り易く伝えるかを重視するため、何を伝えたいかを制作ディレクターと確認しながら、何日も場合によっては何週間も編集スタジオにこもる事になる。 

窓のない、狭い箱(スタジオ)の中で、嫌というほど、素材を詮索し、労働基準時間をとっくに超え、昼も夜も分からなくなる。もちろん、疲れてきては仮眠をとりつつ作業は続くが、ある瞬間、捕りつかれたように編集機に向かい、おそるべき集中をしている時間帯があるという。 

そう、それこそが エディターズハイの状態だ。

当時はまだテープ編集の頃、業務用の編集機でテープをキュルキュルと回して素材画をプレビューする。すると、(先輩曰く)次々を要る画が飛び出してきて、受け側のテープに選ばれた画が運ばれ、迷う間もなく、次はこれ、次はこの画と自動的に画がつながっていく。

もちろんこれは、物理的にそのような怪奇現象が起きているわけではなく、意識がぶっとんでいる状態だろう。日々の鍛錬が無意識的にその必要な画を選び出し、その代わりに要らない画を躊躇なく捨てていく。集中している約2時間の間は、とんでもなく仕事がはかどるという事だ。

このエディターズハイな状態は、繰り返し素材をじっくり観て、詳細に一つ一つの画を記憶しているから起こりうる現象だとも言える。

当時のリニア編集システムの特性として、直線上にテープに画が順につながれているだけの事から、もし途中で、画を変更したいとしても、その画以降は、全てやり直しとなる(作業時間が倍増する)、今では到底考えられないアナログなシステムなのだ。そのため、スタジオ編集マンは、下手にミスなどできないし、くだらない変更は許されない緊張状態に包まれ、もし重要な画を見逃していて、後から気付くようなもんなら、スタジオにお金を払っている制作サイドから責任を問われかねない状況である。

その緊迫した状況のおかげで、画の詳細までを覚えていられる記憶力が養われ、ワンカット毎に丁寧に画をつないでいくという習慣がいやでも身に付くという。そして、映像の繋ぎの基本を重要視しつつ、さらなるクオリティアップのためのアイデアを提供していく仕事である。

また、OAが差し迫った番組においては特に、瞬時に次のカットはこの画だ!と、パーフェクトな画の選定をしなければならないため、その感性は研ぎ澄まされるばかりでなく、不要な画は、情け容赦なく切り捨てる勇気すら育まれる。

 一方、ノンリニ世代の編集マンは、画を選び抜く感性と、画を記憶する能力が上記のような段階を経て育まれていないのでは?(個々人が持ち合わせている才能は別として。)と先輩編集マンは指摘する。ノンリニアシステムとは、データを好きな時に、好きな場所に移動できるという今まで何だったんだ?というほど便利なシステムだ。結果的にそれはそれで素晴らしく良いことなのだが、編集マンという職業の成長過程において、感性をみがき、能力を育むには決して良い環境とは言えない。と苦言を呈す。

画つなぎに対し前述したような尋常ならぬ緊張感が生じるはずもなく、素材もいくらでも掘り起こして、瞬時に戻すことができる。 

OAが迫る中、最終的な画のつなぎを決めるのは、Pでもなく、Dでもなく、編集マンだったりする。本来、そういった重要なポジションであり、作品を仕上げるフィニッシャーなのだ。そんな重責を担う編集マンを育成する環境としては、やはりリニア時代が好都合だったのだろうか。当時はほとんどの番組で制作Dと同席して画つなぎから行い、意見を交換して、時には喧嘩し、時には良い意味での化学反応が起きて、予想もしなかったような素晴らしい映像ができる事もあったとか。 

要は、そんな化学反応を呼び起こす制作体制と、リニア1本道勝負での緊張感が、
編集マンとしての成長を助けてくれたのではと振り返る。

冒頭でも述べたが、質より効率面が優先されている作品も多い昨今、編集マンの役割が剥奪され、プロフェッショナルが育たない現場は、とても寂しい事だと思う。

これからスタジオ編集マンを目指す方は、自主的な勉強が特に必要で、基礎と感性をしっかり育んだ上、現代の最新技術を余裕で操っていただけばと思う次第です。

商店街から成る街づくり


街歩き番組など、地域の情報番組などに携わり、お店を紹介をする際、
番組上のネタとしても、所謂、チェーン店舗ではなく、個人店、特に老舗店を取材する事が多い。
そこで和気藹々と撮影は進む中、常連のお客さんが取材中であっても普通に店主に話しかけ茶化したりと、更に和む現場になる。
そういう状況が、お店の良いところを思わぬ方向で引き出してくれたりして、撮影は続行、結果オーライのOKテイクになったりする。

ただ、取材を深めると、最後に少し後ろ向きな話を聞く事が、最近増えた気がする。
今後の展望などを軽い気持ちで聞くと、
取材D「こういうお店があると街の人達の憩いの場みたいでいいですね。」
店主「でも、私たちの代でこのお店も閉めようと思ってるんです・・」
取材D「え~それはもったいない、どうしてですか?」
店主「跡継ぎもいないし、いても継がせたくはないですよ、儲からないし・・」

この商店街にある老舗店、40年以上営業しているが、
ここ最近、売上は芳しくない。
ゆったり取材時間がとれるくらいだから、確かにお客さんも多くはない。
というより、このご時世、商店街自体が衰退しているのが、紛れもない事実だ。

大型スーパーの台頭と行政が仕事をサボったせいもあってか、
全国の商店街の90%は衰退の一途を辿っているというデータがある。
所謂、上記のような個人商店がつぶれ、シャッター通りになり、
そのうち、オーナーは、駐車場にするか、コンビニに貸すかという例があとを絶たない。

そんな話をよく聞いているうちに、
商店街ってそもそも、必要なのか?とか、根本的な事を考えるようになり、
個人的に取材した事を以下に述べるが、まずは、自身の子供の頃を振り返ってみる。

自分は今年でやっと40代に突入した団塊ジュニア世代のため、
古き良き昭和を描いた映画「三丁目の夕日」のような商店街全盛時代は知る由もないが、  子供の頃の記憶としてこういった思い出がある。

小学校低学年くらいだろうか、世間はバブル経済に沸く、1980年代
マンションが次々と建つ住宅地。
近所には、小さなスーパー1件と、生協くらいだが、
最寄りの駅前(商店街)には、馴染の店がいくつか点在した。

よく覚えているのは、文房具屋に自転車屋にパン屋。どれも普通、ひねり無しのお店やさんだ。
店「どんな物でも万引きはいけない、なぜかというと・・・」
  「物は大切にしなさい、そしたらずぅーっと使えるから」
って、怒られたり、
腹がへれば、ちょっとした小遣い握りしめて、馴染のパン屋へ、
いつもの味、いつも変わらないラインナップのパンがそこにはあった。
なぜだか、そのお店の人の顔も、怒った表情までもよーく覚えてる。

今思うと、何か会話をしなけりゃ、物一つ買わせてもらえなかったから、慣れ親しみすぎて、 もう最後の方は親同然の存在だった気がする。

駅前の市街地にでれば、必ず馴染の大人の存在があって、
見守られていたんだなと、今だから思う。

それから、最近、別件で大阪に出張した際に、
日本一長いと言われる商店街を発見した。

驚く事に、平日の真昼間から、客足は絶えず、たくさんのおば様が自転車に乗り
ショッピングに精を出す。
しかも、2kmもあるアーケード通りに、店はぎっしりと並び、シャッターなど一つも見受けられない。
そして、安い!300円とか、小銭で買える洋服や、特に婦人服店がたくさん。
衰退どころか、繁盛している。。

外観からして風情のある喫茶店にはいると、家族経営のようで、
親父さん、お母さん、娘さんの解りやすい構成で、接客してくれる。
店員:水をくみながら「どちらからいらしたんですか?」
初めて見た顔だからか、探りをいれられているようだ。

となりでは、ヤクザ風のガタイのやたらいい人が、よその子供に話しかけている。
「おっちゃん、こわいか?」
子供「・・・」
「怖いよ」自分が言いかける。。

大阪という土地柄もあるだろうが、絵に描いたようなアットホーム?

この商店街は、実際日本一長い(全長2.6キロ)大阪は天満にある「天神筋橋商店街」だ。

さっそく、この繁盛っぷりの秘密を探ろうと独自取材を決行。
実は全国的にも著名なカリスマ商人、「土居年樹」さん(商店街振興組合理事長)の
ところへ、やや強引にお話を伺いに。。

話は相当長くなるので、ここでは、かいつまんで解説させていただきたい。

この天神橋筋商店街、現在1日の通行数25000人、店舗空きなし。
元々そこまで人通りの多い場所ではなかったようで、土居さんが40年間かけて活性化に取り組んだという。

商店街が衰退していくことは、想像に容易かったという土居さんは、
商店街がガンにかからないうちに予防策を打っておこうと動き出したのだ。

まずは、イベント!文化無き街は街にあらずと言い放ち、
その街にあった、心に訴えかけるイベント企画を打ち出した。
昭和50年代、日本の商店街初の文化ホールを開設からはじまり、「星愛七夕祭り」、「天神祭」の活性化、そして天満天神繁昌亭(上方落語専門の小屋)と、
その街が本来持つ芸能文化を蘇らせるようなイベントや施設設立を実行していったのだ。

街の人達は、たかが商店街がここまでやるかと驚嘆し、人だまりができ、商店の人たちと街の人たちの間で対話がしやすくなったという。

そして土居さんの信念には、こういう言葉がある。
「街に惚れ、店に惚れ、人に惚れる」

街で商売をする上で、
その土地に惚れてとことん街と共に歩む精神。そこに住みそこを愛し、そこを育てる気持ちこそ尊いもの。そしてその街に来る人を愛し、知り、それから商品を買ってもらう。

もちろん商売はするのだけど、
ただ単に、物を売るだけの商売ではないという事だろう。

そういった精神論を土居さんは周囲の商人に熱心に伝え、
それは、必ず返ってくる事だからと継続することに力を注ぐことで、リーダーシップを発揮していった。

そもそも、土居さんがここまでして商店街を活性化しようと取り組んだのには、
大きな理由があった。
昭和50年代、世の中は物に溢れ、人のつながりは薄くなり、
派手な物だけに注目する時代。
妙な事件や孤独な社会世相を感じはじめ、何かおかしくなっていると思ったという。

人の営みとして住む場所、街としてしっかり機能しているのか、
安全で安心して住める場所なのか、
老人の憩いの場であるお店であったり、仕事以外の日常で気楽にコミュニケーションを取れる場があるのか。

大型スーパーもコンビニもいいけど、あれは、単なるお金と物を交換する便利ショップで、儲からなくなれば、直ぐに撤退するし、街に根付かない存在。

街の顔ともなる地に根ざしたお店、番人である街商人が居ることで、
誰もが安心して住める街ができ、街の大人達みんなでその街の子供を育て、文化を継承していく。それは教育という面でも大きく貢献している事になる。

最後に土居さんはこうもおっしゃった。
今の日本、健全な街を建てなおさなあかん、
街のリーダーが必要や。企業やコンサルタントに頼ったらダメや。
諦めずに自分の街は自分で建て直す意欲と愛情が大切。
リーダーが如何に情熱を持って持続できるか!
現代人は「ほんまもんの街」に飢えているんだ!

買い物なんて、クリック一つで済んでしまう、ハイテクでデジタルに囲まれた時代。
「ほんまもんの街」を忘れかけていたよう。

海外ドラマ「THE BLACKLIST」

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ブラックリスト公式HP

昨年よりアメリカのNBCで放送されている、最新超大型サスペンスドラマ『ブラックリスト』
人気、視聴者数共にトップレベルの成功を収めている。
現在はすでに、本国でシーズン2の制作と放送が開始、
日本ではシーズン1の再放送中、来年にはシーズン2が放送開始される。

という事で、自分は再放送のシーズン1を通しで視聴したのだが、面白い!これはもうハマりました。
その気持ちは第1話を見ている時点で確定した。

テレビドラマ形式なのにもかかわらず、映画のような画作り、ディテールへのこだわりに圧倒される。

その映画並みのスケールで描かれた内容もすごい。
最重要指名手配犯「レディントン」が突然FBIに出頭する場面から本作は始まる。この時点でレディントンは自首した形で拘束される立場なのだが、自らが尚自由でいられる条件をFBIにつきつけた。
レディントンは、FBIもその存在すら知らなかった凶悪犯罪者たちをリストアップし、FBIの捜査に協力すると言い出す。そして、その協力の条件として直接話をするのは捜査官「エリザベス」だけだと謎の指名。その後、エリザベスに次々と凶悪犯を逮捕させていくという展開。
犯罪者のドンが物語の冒頭からFBIに仲間入りするという今までにない驚愕の設定だ!
レディントンの目的とは何なのか?エリザベスを指名した理由は?

根本的には心理サスペンスドラマであるものの、
回毎に登場する凶悪犯のキャラクターとそのシチュエーションの世界観が半端ない。
時には、サイコ殺人鬼のホラー作品になり、時には中国人スパイとの刑事ドラマのような駆け引き、時には化学兵器テロリストとの壮大なアクションシーンが繰り広げられ、
各シチュエーションそれぞれが、一つ一つの大作映画のように描かれている。

これは、お金かかりますねえ、毎回、使いまわしている感を全く感じさせないし、本当に使いまわし無しの贅沢極まりない連続ドラマと言えよう!

この調子で、放送が継続できるのか観てる方が余計な心配をするほど。

もっとも、昨今の海外ドラマ業界も激しい競争下にあり、
局サイドも視聴率が悪ければ、即放送を中止するという傾向にある。
いきなり、ぶつ切り状態で打ち切りになる番組も多々ある中で、

この「ブラックリスト」、実は、第2話が放映された段階で、その人気と作品の出来映えからシーズン1(全22話)の放送を決め、さらにシーズン2の制作までも昨年のうちに決定されていたという、
放送局の異常なまでの熱の入れようも含め、異例のヒット作なのである。

本作の主役であるレディントン役のジェームススペイダーは、映画誌のインタビューでこんなことを言っている。
「TVドラマ界は劇的に変わっている。この番組は、TVという感覚でなく、1件のお店を開くような感覚。まずいものを出せば、その客は2度と来ない」

と、このように出演者が言っているくらいだから、制作現場は、物凄くクリエイティブな世界が繰り広げられているのだろう。
しかしながら、テレビドラマという制作条件の中で、いくらお金を投資したからといってあれだけのクオリティのものを毎回作る労力は計り知れないものがある。

もっとも、アメリカのテレビ局でもスタッフが廊下で雑魚寝をしているのは間違いないだろうが?
実際、どういう状況で制作しているのか、一度は見学してみたいところだ。

さらに興味深いことに、本作は、高視聴率の上、録画視聴率の記録も更新しているという。
例えば第1話では1820万人の視聴者数を記録したが、そのうち約30%が
録画視聴で、そのシーズンに放送されたドラマではこれまたトップ記録。
テレビドラマとは言え、じっくり見たいドラマという評価の現れだろうか。

現在まで22話を観終ったのだが、
とにかく、1話毎に違った作品を観ているかのような錯覚に陥る娯楽度の高さと
エピソードが進むにつれ、次第に見え隠れする謎解きの寸止め感、しかり、
緩急の効いたセリフ回し、ストーリー展開のテンポ、どれをとっても、お手上げ状態でおススメ作であったため、 興奮冷めやらぬうちに、レビューを当ブログに書きなぐってしまいました。

来年上映のシーズン2が待ち遠しい。

映画『赤い靴』

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1950年に公開されたアンデルセン童話が原作のバレエ映画。
私藤川、最近は映像だけでなく、舞台芸術にも興味をもつようになり、つい先日、初めてバレエの舞台を観にいった。
とてつもなく感動し、バレエの世界観にハマりつつあるため、さてこれも観なくてはと、バレエ映画の元祖とも言える当作品をセレクト。

 

 

物語は、至ってシンプル。
世界一のバレリーナを目指すヒロイン、奇才のプロデューサーに才能を認められ、狂ったように厳しい練習にいどみ、『赤い靴』の題目でプリマの役を果たす。
その後は、スター街道をまっしぐら、順風満帆かと思われたが、私情が邪魔をする。

「バレエは単なるショーではない、信仰だ」
「このバレエ団を主宰するのは、私の使命だ」
と発するプロデューサーは、自らがスカウトした新人のヒロインで演目『赤い靴』を成功させた。これまでに無い手応えをつかみ、世界中の人々を歓喜の渦に巻き込もうと意気込んだ矢先、皮肉なまでのヒロインの恋。

ヒロインは、同時期にデビューした作曲家(こちらも天才的な作曲家で『赤い靴』の曲を見事に仕上げ大成功した)と恋に落ちる。

プロデューサーはヒロインに恋を捨てさせようと、執拗に説得する。
「私情に溺れる者は至高を目指す資格はない!」
「これは単なる嫉妬ではない!」と。

至高のプリマになって踊り続けたい、だけど恋人は捨てられない、
その狭間で苦しむヒロイン。

映画では、ヒロインの揺れ動くピュアな感情と、プロデューサーの特異な嫉妬心、バレエへの異常なまでの執着心が強烈に描かれている。

そして、映像が凄い。
長尺のバレエシーンは、踊り自体がもちろん美しく、それだけでも楽しめるが、
その踊りに映像上の装飾を加え、さらに美しく贅沢な仕上がりを見せている。
もちろん当時は、現在のようなCG技術はなかったはず、にもかかわらず、
リアルな舞台では不可能な、映像ならではの面白味のある幻想的な表現が盛り込まれていた事に驚いた。

絵画のような背景の色使いに、映える赤の靴。この赤は、刺激的でもあり、不安を誘う要素にもなっていた。

この映画の作者は、ストーリーはいい意味で適当で、バレエの芸術性や美感を最も重視して映像を制作したのであろうと納得できる。 

そして、この映画の影響でバレエダンサーを目指す人が多くいた事もうなずける。
大勢のスタッフやダンサー達との私生活も含めた仲間意識が描かれ、
世界中を巡業し、一流のオーケーストラの音楽で踊り、大衆を圧巻させる派手さ、
減量や日々の厳しい練習の中で生み出される、研ぎ澄まされたバレエ演技。
究極の何かを直感的に感じるのだろうと。

そう、自分がこの映画から感じ取ったのは、究極の覚悟で芸術表現に望む事。