月別アーカイブ: 2014年12月

商店街から成る街づくり


街歩き番組など、地域の情報番組などに携わり、お店を紹介をする際、
番組上のネタとしても、所謂、チェーン店舗ではなく、個人店、特に老舗店を取材する事が多い。
そこで和気藹々と撮影は進む中、常連のお客さんが取材中であっても普通に店主に話しかけ茶化したりと、更に和む現場になる。
そういう状況が、お店の良いところを思わぬ方向で引き出してくれたりして、撮影は続行、結果オーライのOKテイクになったりする。

ただ、取材を深めると、最後に少し後ろ向きな話を聞く事が、最近増えた気がする。
今後の展望などを軽い気持ちで聞くと、
取材D「こういうお店があると街の人達の憩いの場みたいでいいですね。」
店主「でも、私たちの代でこのお店も閉めようと思ってるんです・・」
取材D「え~それはもったいない、どうしてですか?」
店主「跡継ぎもいないし、いても継がせたくはないですよ、儲からないし・・」

この商店街にある老舗店、40年以上営業しているが、
ここ最近、売上は芳しくない。
ゆったり取材時間がとれるくらいだから、確かにお客さんも多くはない。
というより、このご時世、商店街自体が衰退しているのが、紛れもない事実だ。

大型スーパーの台頭と行政が仕事をサボったせいもあってか、
全国の商店街の90%は衰退の一途を辿っているというデータがある。
所謂、上記のような個人商店がつぶれ、シャッター通りになり、
そのうち、オーナーは、駐車場にするか、コンビニに貸すかという例があとを絶たない。

そんな話をよく聞いているうちに、
商店街ってそもそも、必要なのか?とか、根本的な事を考えるようになり、
個人的に取材した事を以下に述べるが、まずは、自身の子供の頃を振り返ってみる。

自分は今年でやっと40代に突入した団塊ジュニア世代のため、
古き良き昭和を描いた映画「三丁目の夕日」のような商店街全盛時代は知る由もないが、  子供の頃の記憶としてこういった思い出がある。

小学校低学年くらいだろうか、世間はバブル経済に沸く、1980年代
マンションが次々と建つ住宅地。
近所には、小さなスーパー1件と、生協くらいだが、
最寄りの駅前(商店街)には、馴染の店がいくつか点在した。

よく覚えているのは、文房具屋に自転車屋にパン屋。どれも普通、ひねり無しのお店やさんだ。
店「どんな物でも万引きはいけない、なぜかというと・・・」
  「物は大切にしなさい、そしたらずぅーっと使えるから」
って、怒られたり、
腹がへれば、ちょっとした小遣い握りしめて、馴染のパン屋へ、
いつもの味、いつも変わらないラインナップのパンがそこにはあった。
なぜだか、そのお店の人の顔も、怒った表情までもよーく覚えてる。

今思うと、何か会話をしなけりゃ、物一つ買わせてもらえなかったから、慣れ親しみすぎて、 もう最後の方は親同然の存在だった気がする。

駅前の市街地にでれば、必ず馴染の大人の存在があって、
見守られていたんだなと、今だから思う。

それから、最近、別件で大阪に出張した際に、
日本一長いと言われる商店街を発見した。

驚く事に、平日の真昼間から、客足は絶えず、たくさんのおば様が自転車に乗り
ショッピングに精を出す。
しかも、2kmもあるアーケード通りに、店はぎっしりと並び、シャッターなど一つも見受けられない。
そして、安い!300円とか、小銭で買える洋服や、特に婦人服店がたくさん。
衰退どころか、繁盛している。。

外観からして風情のある喫茶店にはいると、家族経営のようで、
親父さん、お母さん、娘さんの解りやすい構成で、接客してくれる。
店員:水をくみながら「どちらからいらしたんですか?」
初めて見た顔だからか、探りをいれられているようだ。

となりでは、ヤクザ風のガタイのやたらいい人が、よその子供に話しかけている。
「おっちゃん、こわいか?」
子供「・・・」
「怖いよ」自分が言いかける。。

大阪という土地柄もあるだろうが、絵に描いたようなアットホーム?

この商店街は、実際日本一長い(全長2.6キロ)大阪は天満にある「天神筋橋商店街」だ。

さっそく、この繁盛っぷりの秘密を探ろうと独自取材を決行。
実は全国的にも著名なカリスマ商人、「土居年樹」さん(商店街振興組合理事長)の
ところへ、やや強引にお話を伺いに。。

話は相当長くなるので、ここでは、かいつまんで解説させていただきたい。

この天神橋筋商店街、現在1日の通行数25000人、店舗空きなし。
元々そこまで人通りの多い場所ではなかったようで、土居さんが40年間かけて活性化に取り組んだという。

商店街が衰退していくことは、想像に容易かったという土居さんは、
商店街がガンにかからないうちに予防策を打っておこうと動き出したのだ。

まずは、イベント!文化無き街は街にあらずと言い放ち、
その街にあった、心に訴えかけるイベント企画を打ち出した。
昭和50年代、日本の商店街初の文化ホールを開設からはじまり、「星愛七夕祭り」、「天神祭」の活性化、そして天満天神繁昌亭(上方落語専門の小屋)と、
その街が本来持つ芸能文化を蘇らせるようなイベントや施設設立を実行していったのだ。

街の人達は、たかが商店街がここまでやるかと驚嘆し、人だまりができ、商店の人たちと街の人たちの間で対話がしやすくなったという。

そして土居さんの信念には、こういう言葉がある。
「街に惚れ、店に惚れ、人に惚れる」

街で商売をする上で、
その土地に惚れてとことん街と共に歩む精神。そこに住みそこを愛し、そこを育てる気持ちこそ尊いもの。そしてその街に来る人を愛し、知り、それから商品を買ってもらう。

もちろん商売はするのだけど、
ただ単に、物を売るだけの商売ではないという事だろう。

そういった精神論を土居さんは周囲の商人に熱心に伝え、
それは、必ず返ってくる事だからと継続することに力を注ぐことで、リーダーシップを発揮していった。

そもそも、土居さんがここまでして商店街を活性化しようと取り組んだのには、
大きな理由があった。
昭和50年代、世の中は物に溢れ、人のつながりは薄くなり、
派手な物だけに注目する時代。
妙な事件や孤独な社会世相を感じはじめ、何かおかしくなっていると思ったという。

人の営みとして住む場所、街としてしっかり機能しているのか、
安全で安心して住める場所なのか、
老人の憩いの場であるお店であったり、仕事以外の日常で気楽にコミュニケーションを取れる場があるのか。

大型スーパーもコンビニもいいけど、あれは、単なるお金と物を交換する便利ショップで、儲からなくなれば、直ぐに撤退するし、街に根付かない存在。

街の顔ともなる地に根ざしたお店、番人である街商人が居ることで、
誰もが安心して住める街ができ、街の大人達みんなでその街の子供を育て、文化を継承していく。それは教育という面でも大きく貢献している事になる。

最後に土居さんはこうもおっしゃった。
今の日本、健全な街を建てなおさなあかん、
街のリーダーが必要や。企業やコンサルタントに頼ったらダメや。
諦めずに自分の街は自分で建て直す意欲と愛情が大切。
リーダーが如何に情熱を持って持続できるか!
現代人は「ほんまもんの街」に飢えているんだ!

買い物なんて、クリック一つで済んでしまう、ハイテクでデジタルに囲まれた時代。
「ほんまもんの街」を忘れかけていたよう。