そこは、弊社(ニュービデオ)の所在地である恵比寿
恵比寿といえば、代官山に隣接した、オシャレで
ハイセンスな大人の街。
その街の真ん中をはしる駒沢通り
沿いに、
1件の古めかしいラーメン屋があった。
そのラーメン店の閉まったシャッターに貼られたチラシを観ると、
「閉店のお知らせ」、また、お客さんと思われる方々からのメッセージが貼られている。
通りゆく人の中で、ポツポツとそのチラシを
立ち止まって見る人達がいる。 まじまじと何度もそのお知らせを読み返しているようだ。このお店の常連だろうか。
そのラーメン店は、
『らーめん山田』
恵比寿で47年の老舗だ。 地元では人気のお店で、多くの常連客で、
日々満席、時には行列ができるほど賑わっていた。
サッポロ味噌ラーメンを基礎にしたラーメン専門店なのだが、
実は、もうこのラーメンは二度と食べれない。
数ヶ月前、店主がお亡くなりになり、同時に閉店したのだ。
突然の閉店に、この店に通う常連は衝撃を受けた。
え、ほんとに・・ 店主と、その店主が作るラーメンと、、もう会えないの?
自分も、ショックを隠しきれなかった。
失礼かもしれないが、正直店主のイメージというか人間像が自分の記憶にはあまりない。
お店にはたまに行くだけで、ある強烈に印象に残っている一杯のラーメンを食べるためだけに足を運んていたからだ。
何よりショックだったのは、そのラーメンにもう二度と会えないかもしれないという事実だ。 不安と後悔の念。
最近は食べていなかったから、なおさらだ。
その後、らーめん山田では、所謂ラーメン葬が催され、お焼香に非常に多くのファンが集まり、店主とそのラーメンを偲んだ。
ラーメンファンも多いが、店主と親しかった本当の常連さんもたくさんいらっしゃった。
数か月経った今もまだ、店前を通るたびに、赤い看板を目にするたびに、切なくなり、
あのラーメンが食べたくなる、もう一度だけでも食べておけばよかったと、
とりとめのない思いにふける。
そしてある日、らーめん山田の女将さんに会う事ができた。
自身の仕事柄、取材をする事には慣れっこだが、今回はこのラーメン店の一ファンとして、女将さんにじっくりお話を聞かせていただくことになったのだ。
ラーメンが食べられない代わりに、お話を聞こうってわけじゃないが、
話だけでもと心の穴を埋めようとしていたのは間違いではない。
最近片付けはじめたという雑然とした店内、
ラーメン葬で飾られたという店主の写真パネルを観ながら、
女将さんはうれしそうに話始めた。
「イメージと違うでしょ、こんな陽気な人だったんですよ~」
店主は、享年62歳 山田 章夫 さん
死因は心筋梗塞だったそうで、亡くなるには、早すぎるお歳だ。
パネルに貼られた写真をみると、気さくな店主の素顔が垣間見える。
営業中のお店では、厨房の中で黙々とほとんど言葉を発さず調理している姿しか見たことなかったので、意外な一面があったのだと気づかされる。
このラーメン店は、40年前に恵比寿で開店し、家族経営でずっとやってきた
L字カウンターに、テーブル一つ、昔懐かしい風情のある店内。
当時は、恵比寿とはいえ、飲食店も少なく、
ラーメン店といっても、所謂らーめん専門ではなく、メニュー豊富な定食やであった。
お客さんも次から次へと来るわけではなく、常連さんと店主がテレビを見ながら
お話できるような、のんびりとした様子だったという。
メニューの中には、とんかつ定食もあった。
ある時、常連のお客さんが何を思ったか、店主にこんな提案を、「このラーメンにとんかつのっけてくれえ!」と。
なるべくお客さんの要望にこたえようとする店主、
その場で揚げたてのとんかつを乗っけたんだという。
人気メニュー「みそトンカツラーメン」の始まりだった。
これが、自分が惚れた一杯のらーめんだ。思い出すとたまらなくなるが、
食べたことのない人は想像がつきずらいのではないか。
まず、とんこつラーメンの「とんこつ」ではない「とんかつ」そのものだ。
そして、これは、濃厚なイメージが湧くかもしれないが、
決してそうではない。
あっさりとした札幌系の味噌ラーメンの上に、
めちゃくちゃ美味い“とんかつ”が丸ごと乗っているのだ。
見た目は、重そうにも見えるが、実は程よいのだ。というか、とんかつの美味さが異常事態だ。味噌ラーメンを食べているのに、なんだこれは!?と驚きと感動がそこにはあるのだ。
そこには、違和感はない、なぜかラーメンとマッチしている。
店主は、とんかつそのものにもこだわったようだ。
豚肉、ラードもとんかつ専門店にも負けないほどの上質なものを使い、
一級のとんかつを惜しげもなくらーめんに乗せていたのだ。
そして、何よりも、この味噌スープ、
特段、人に興奮して勧めるものでもないし、ごく普通なんだけど、
なんだか、美味い! いつでも飲める、飲みたくなる。
「あったかい」、「しみる~」「うまい!」と素人ながら普通の感想しか言えないんだけど、それがズドンと心にささる。
女将さんとお話をして、そのスープの秘密が少しわかった気がする。
女将さん曰く、
店主のスープに対するこだわりは、傍にいてコワいくらいだったという。
店主は元々、らーめん店を始めたくて開店したわけではなく、
親がやっていたラーメン店をなんとなく引き継いだ。ところが、時代はらーめんブームに入り、佐野らーめんとか、個性的な専門店がもてはやされるようになってからは、
その時代のながれに感化されたのか、
特にラーメンのスープに対し、とても研究熱心になり、自分の味を追求するようになったのだという。
ラーメンブーム以降、定食屋からラーメン専門店となり、
心身共に疲労困憊するほど頑張りすぎて、身体を壊し、営業時間とメニューを限定するようになったという。
というのも、信じられないことに、スープを毎日、1杯毎に味見して、味の調整をしていたという。
もちろん、ベースの味は決まっているものの、
時には、常連のお客さんに合わせたスープを都度調整し、提供するんだという。
お年寄りにはうす味を、労働者には少し塩分を濃くするとか、まさにオンリーワンのラーメンを。
そして、日々、味の追求を欠かさない。
仕込みにも時間をかけ、味の改良に余念がない。
もうその頃には十分にお客さんは定着していただろうに、執拗に、味の変化を求めていた。
そこには店主のこんな信念がある。
「常にお客様の一歩先の味を提供しなければならない。
同じ事をしていたら味が落ちたと言われる。
その時に一番美味いと思える味を追求する。」
自分は素人考えで、
ラーメンのスープって変わらない味を保つものかと思っていたが、そんな事じゃあなさそうだ。
客として「相変わらずおいしいな。」と思うのは、味が変わっていないというわけでは
なく、むしろ進化していたからだったのかもしれない。
『飽きない味』と『同じ味』は決してイコールではないようだ。
そんな店主の味に対するストイックな姿勢は、日に日に強くなっていったという。
それと同時にお客さんは次第に増えていき、
昼の営業前には、いつも店の外にお客さんが並ぶようになっていった。
有名店を目指しているわけでもなく、宣伝もなにもしていない。
店主は、目の前にいる客の事を第一に重んじていたようだ。
お客のほうからその小さなお店から発せられるオーラに吸い込まれていったのであろう。
自分もその一人だが、
初めてその味噌スープを飲んだとき、なんだか幸せな気持ちになったのを覚えている。
そのスープについて、店主はさらにこんな事をつぶやいていたという。
「毎日、味見して飲むものだから、自分のためにも身体によいものを作らないとな、
日本の食文化である『味噌汁』のようなイメージ」と。
店主の狙いは、確実にこのスープに表現されていた。
絶妙な甘みと塩っけ、やさしくて、ほどよく温まる、癖のないシンプルな味。
人々は自然とその味に馴染み、らーめん山田の虜になるのだ。
それから、店主は、プライベートでも味の話をするほどに、人生をらーめんに費やした。
とにかく命をかけてラーメンに向かっていた。
亡くなった時、やり尽くしたかのような表情をうかべていたという。
亡くなる前、病院のベッドで、薬で意識朦朧となっている中、
「ボク、恵比寿でラーメン屋やってるんです。結構有名みたいです。」と
その時ばかりは、はっきりとお医者さんにお話したという。
さて、
無き店主の思いやこだわりをここまで聞くと、
本当にもう食べられない、当然食べる事はできないものだったんだと
納得できる。
むろん、店主はこのらーめん店を一代で終わらせるつもりでいたし、
弟子もとらなかったのは言うまでもない。
誰にも真似できないし、継承しようがない
真のオリジナルラーメンだったと言えよう。
家族にも厨房は入らせなかったくらいの、味に対する執着心。
そして、
まずは目の前の人をいつまでも喜ばせハッピーにしたいという考え方。
女将さんから大変貴重なお話を聞き、『らーめん山田』の店主に敬服するとともに、
ありがとう、さようならと改めて言いたい。