エディターズハイ

昨今のノンリニア編集システムにより、個人レベルで映像編集をする事が容易な環境となったため、各制作ディレクターが自らの感覚で画をつなぎ、仕上げ作業をメインとした目的で編集スタジオに入るというワークフローがテレビ番組の制作現場では主流となっている。

一方、ノンリニアシステムが台頭する以前は、どうしていたかと言うと、機材環境の物理的な面で、個人で容易に編集なんてできなかったから、制作ディレクターは撮影した素材テープをそのままをスタジオに持参し、編集マンと一から作業を共にしていたのだ。その頃の編集システムを「リニア編集」というが、要は、テープからテープへのダビングで、テープの頭から順番に画をつないでいって作品を作り上げていく(リニア=直線的)というシステム。

 リニア編集環境では、編集マンと制作ディレクターが相互に意見を交わしながら一つ一つ画をつないでいたが、今や意見を交わすどころか、スタジオに入った時点で、テロップも入れなきゃならないし、仕上げの加工もしなきゃならないしでスケジューリングされ、スタジオ編集マンが画つなぎから何から全て見直して、じっくりつなぎ直したりする時間はないのが実情だ。(番組ジャンルや作品による)

そんなスタジオ編集マンは、仕事に物足りなささえ感じているという。

ところで最近、映像業界の大先輩にお会いし、従来の編集作業に関して興味深い話をきいた。その先輩は、リニア時代の所謂オフライン編集マンで、主に長尺のドキュメント番組などを制作編集してきた大ベテランだ。

特に、ドキュメンタリーは長期間の取材に準じ、膨大な素材量があり、まずはその素材を全てプレビューし、どの画が活きるかをじっくり精査し、取捨選択の繰り返しとなる。

その際に、視聴者にいかに解り易く伝えるかを重視するため、何を伝えたいかを制作ディレクターと確認しながら、何日も場合によっては何週間も編集スタジオにこもる事になる。 

窓のない、狭い箱(スタジオ)の中で、嫌というほど、素材を詮索し、労働基準時間をとっくに超え、昼も夜も分からなくなる。もちろん、疲れてきては仮眠をとりつつ作業は続くが、ある瞬間、捕りつかれたように編集機に向かい、おそるべき集中をしている時間帯があるという。 

そう、それこそが エディターズハイの状態だ。

当時はまだテープ編集の頃、業務用の編集機でテープをキュルキュルと回して素材画をプレビューする。すると、(先輩曰く)次々を要る画が飛び出してきて、受け側のテープに選ばれた画が運ばれ、迷う間もなく、次はこれ、次はこの画と自動的に画がつながっていく。

もちろんこれは、物理的にそのような怪奇現象が起きているわけではなく、意識がぶっとんでいる状態だろう。日々の鍛錬が無意識的にその必要な画を選び出し、その代わりに要らない画を躊躇なく捨てていく。集中している約2時間の間は、とんでもなく仕事がはかどるという事だ。

このエディターズハイな状態は、繰り返し素材をじっくり観て、詳細に一つ一つの画を記憶しているから起こりうる現象だとも言える。

当時のリニア編集システムの特性として、直線上にテープに画が順につながれているだけの事から、もし途中で、画を変更したいとしても、その画以降は、全てやり直しとなる(作業時間が倍増する)、今では到底考えられないアナログなシステムなのだ。そのため、スタジオ編集マンは、下手にミスなどできないし、くだらない変更は許されない緊張状態に包まれ、もし重要な画を見逃していて、後から気付くようなもんなら、スタジオにお金を払っている制作サイドから責任を問われかねない状況である。

その緊迫した状況のおかげで、画の詳細までを覚えていられる記憶力が養われ、ワンカット毎に丁寧に画をつないでいくという習慣がいやでも身に付くという。そして、映像の繋ぎの基本を重要視しつつ、さらなるクオリティアップのためのアイデアを提供していく仕事である。

また、OAが差し迫った番組においては特に、瞬時に次のカットはこの画だ!と、パーフェクトな画の選定をしなければならないため、その感性は研ぎ澄まされるばかりでなく、不要な画は、情け容赦なく切り捨てる勇気すら育まれる。

 一方、ノンリニ世代の編集マンは、画を選び抜く感性と、画を記憶する能力が上記のような段階を経て育まれていないのでは?(個々人が持ち合わせている才能は別として。)と先輩編集マンは指摘する。ノンリニアシステムとは、データを好きな時に、好きな場所に移動できるという今まで何だったんだ?というほど便利なシステムだ。結果的にそれはそれで素晴らしく良いことなのだが、編集マンという職業の成長過程において、感性をみがき、能力を育むには決して良い環境とは言えない。と苦言を呈す。

画つなぎに対し前述したような尋常ならぬ緊張感が生じるはずもなく、素材もいくらでも掘り起こして、瞬時に戻すことができる。 

OAが迫る中、最終的な画のつなぎを決めるのは、Pでもなく、Dでもなく、編集マンだったりする。本来、そういった重要なポジションであり、作品を仕上げるフィニッシャーなのだ。そんな重責を担う編集マンを育成する環境としては、やはりリニア時代が好都合だったのだろうか。当時はほとんどの番組で制作Dと同席して画つなぎから行い、意見を交換して、時には喧嘩し、時には良い意味での化学反応が起きて、予想もしなかったような素晴らしい映像ができる事もあったとか。 

要は、そんな化学反応を呼び起こす制作体制と、リニア1本道勝負での緊張感が、
編集マンとしての成長を助けてくれたのではと振り返る。

冒頭でも述べたが、質より効率面が優先されている作品も多い昨今、編集マンの役割が剥奪され、プロフェッショナルが育たない現場は、とても寂しい事だと思う。

これからスタジオ編集マンを目指す方は、自主的な勉強が特に必要で、基礎と感性をしっかり育んだ上、現代の最新技術を余裕で操っていただけばと思う次第です。